Novel

いびき発見伝

その1『いいんじゃないの~?』

  

夜勤明けでよっぽど疲れていたのだろうか。JR根岸線で電車にゆられ、列車のほどよい金属音と乗客の雑音で心地よくウトウトとしていた私は、すっかり深い眠りに入ってしまい、降りるはずの駅を通り過ぎて、終点の大船駅からそのまま折り返してとんでもないところまで来てしまった。

横浜市どころか川崎を超えてそこはすでに都内だった。

反対車線に乗り換えてすぐに自宅の駅に戻ろうかと思ったが、仕事が終わってからまだ何も食べていないし、下車して空腹を満たそうと思った。もう時刻は11時を回ろうとしていたのでちょうどランチタイムが始まるだろう。車内で爆睡してしまったおかげで頭もいくらかスッキリしていた。私は都内の某駅で降りることにした。

駅を降りるとオフィス街とは反対方向に向かった。そこにはおあつらえ向きに商店街があった。チェーン店に混ざって個人店も軒を並べ、お昼時ということで大いににぎわいを見せていた。

「こういう所って結構おいしいお店あるんだよな。ここまで来てチェーン店はもったいないし・・・・・・ちょっと探すか!」

夜勤明けのカラテンションも手伝って私はウキウキ気分で商店街散策へと向かったのだった。

  

とにもかくにも夜勤明けでお腹が空きすぎていた私は、とびっきり美味しい、商店街ならではの穴場的なところでご飯を食べたかった。

チェーン店には目もくれず、私は孤独のグルメさながらに、自分の空腹を満たすお店を貪欲に探し回っていた。すると商店街の端っこに、商店街なら良くあるであろう路地裏があった。井之頭五郎が憑依した私は、そういった場所には必ず穴場的な料理屋があるに違いないと期待が膨らんだ。

「いいんじゃないの~?」

ワクワクした気持ちで細い路地を進んでいくと、そこにはシャッターの閉まったスナックや飲み屋が軒を連ねていた。1軒くらいはランチをやっている店があっても良さそうだ。夜は居酒屋のお店が出すランチもいい。スナックのママがランチでナポリタンなんか出してたらいいじゃないか。ますます期待が膨らんでいった。

その2『えぇい、ままよ!』

  

細い路地裏をすすんでいくと、そこはビルの狭間でまだ昼だというのにあたりは曇りの天気も相まって暗くどんよりとしていた。期待していたスナックや居酒屋はみな閉まっているし、かと言って商店街のメイン通りに戻るのも気が引けた。私はとりあえずそのまま突き進んで行くことにした。というか、路地裏の暗い空気に飲まれてか、何も考えられず、無意識に歩みを進めていくしかなかった。

空き缶やらビール瓶なんかが転がっていて、辛気臭い。あたりはちょうどメイン通りの料理屋の裏側になっていて、その店のゴミ箱やらが置いてある。

生ごみの嫌な匂いとドブ臭さが混ざり合って食欲を減退させる。

ちょっと脇道をのぞいてみると、白昼堂々とスーツ姿の男と制服を着た少女がまさぐりあっているのが目に入った。壁に背を付けた少女は目を半開きにして男に唇を奪われ、股を遊ばれていた。トロンとした少女の目が一瞬私と目が合った気がした。私はあわてて逃げるようにその脇道をそれて数メートル小走りに走ってから壁にもたれかかった。止まった瞬間に汗がどっとふき出してきた。元々動悸の激しい私は心臓がバクバクして少し立ち眩みがした。別に悪いことをしているわけではないのに、、、むしろ悪いのはあいつらの方じゃないか!

やっぱり表に戻って適当なところで済ますか、、、

腹が空きすぎている私は束の間の探検を諦めて、表通りに出ることにした。このまま突き当りを曲がれば出られるだろう。こんな所にいるとその内ヤクザにでも出くわしかねないと思った。早くここを出たかった。

と、行き当たったところで妙なポスターが目に入った。

『鳥獣販売店この奥』、、、?

こんなところにペットショップでもあるのだろうか。あったとしてもポスターの雰囲気と“鳥獣”という字面の印象から、可愛らしいプードルや何とかテリアとかは売っていなさそうだ。一人暮らしのアパートはペット禁止だし、実家でもハムスター1匹飼っていなかった私は特に動物に興味があるわけではなかったのだったが、ただ何となく判然としない意識でもって、ちょっとその店をのぞいてみようかと思い至った。夜勤明けの疲れと、空腹と眠気と鼻につく路地裏の匂いで確かな判断力を失っていた私は、フラフラとした足どりで、ポスターの差す方向に進んでいった。

  

突き当りを曲がり、さらに暗さの増したその路地裏は先が行き止まりで、そこにポツンと置いてある立て看板が鳥獣販売店なる場所を示していた。

長年誰も使っていないような、しかし存在感のないようである、壁に描いた騙し絵のような扉がそこにはあった。扉に塗られたえんじ色のペンキは所々ハゲているし、外に出された木版の看板はえらく年季が入っていて、板面に大きく“鳥獣販売”とだけ書いてあった。兎にも角にも看板は出ているのだからお店は営業しているのだろうが、本当にやっているのか、いや、お店の存在自体が疑わしい。

俺は一体どうしてこんな所にいるんだ?飯を食いに来たんじゃないか!

客が来ることを拒んでいるとしか思えない不愛想な店に、特に用もないのに入ろうとしている自分がバカバカしくて腹がたった。腹が立ったらやはり腹が減ってきた。腹が減ったら、正気な判断などできるわけがなかった。

「えぇい、ままよ!」

夜勤明けの足りない頭のせいか、挑発的な店構えのせいでか分からないが、私はえんじ色の扉を開けていた。

その3『なにも睨まなくたっていいじゃないか!』

ぎしっ、ガタン!

さびついた扉を開けて、閉め戻そうとしたと同時に扉は勢いよく勝手に閉まった。

きっと扉を治す金もないほど儲かっていないのだ、きっと。

思わず扉を蹴飛ばしたくなったが、暗い通路のすぐ先に蛍光灯が灯っていて、鳥獣販売店なる店があることがすぐに分かった。いかにもペットショップらしい獣の匂いがする。

蛍光灯の下には鳥籠やら餌の袋やらが雑念と置いてあるのが遠めからわかる。

本当に俺は何しにここに来たのだ?文鳥でも買って帰る気か?

もう考える頭を持たない私はその怪しい店内に入っていった。

入ってすぐ右側にカウンターがあり、そこに店主らしき人物が座って何か帳簿を付けている。その禿げ頭で小太りの初老の男と目が合った。いや、にらまれた。

「いらっしゃい」

耳に不快な脂ぎったダミ声で男は言った。頭部のサイドだけ毛が薄く生えて、額からてっぺんまでが見事に禿げあがったその店主は、いかにも狡猾そうでペットショップの店主というよりは意地悪そうな古書店の店主だった。古書店の店主が良くするように、客が万引きでもしないかと警戒するように、ジッと客である私を品定めしようと睨みつけてきた。

何も睨まなくたっていいじゃないか!別に万引きするわけでもなし。帳簿をつけるほど売れてるのかよこの店は!けっ!借金の自転車操業で首が回らないってか!こんな店とっとと出て行くべきだ!

間違えてBLコーナーに迷い込んでしまった時のあの素早さで、私は店を後にしようとして踵を返したとき、

「何かお探しで?」

首が肩までめり込んだような初老のその店主は、帳簿の手を止めて私に話しかけてきた。きっとめったに来ない客が迷い込んできたのをチャンスとばかりに呼び止めてきたのだ。その脂ぎった顔には不愛想な古書店の店主のそれではなく、来る者を拒まない「どうぞ見ていってください!お安くしますよ!」といった商いの媚びへつらう優しい顔つきがあった。口角はあがり、目じりは垂れ下がって、いかにもWELLCOME!な面持ちだった。来る者は拒まず去ろうとするものを否が応でも足止めしようとする、イルカの絵の販売員のそれであった。

「いえ、たまたま通りかかっただけでして」

突然に声を掛けられえてドギマギしてしまった私は、ついありきたりな定型文のような返事をしてしまった。こんな辺鄙なところにたまたまもチ〇ポコもあったものか!

こいつはカモれると思ったのか、店主は目をギラギラに輝かせて私を見つめてこう言った。

「いやあ、旦那は運がいいでさあ。今日は”たまたま”とっておきの『ブツ』が入りましてな。まだ誰にも見せていないんです。ぜひ見ていってくだせ~な!な~に、見るだけならタダですよ!そら、ご案内します。さあさあ!」

重々しい太腹を持ち上げてカウンターから立ち上がると、店主は私を奥に案内しようとした。私は慌てて店主を制止して、

「いや、本当に偶然”たまたま”興味本位で立ち寄っただけで、何も買う気なんてないので!」

と辞退しようとしたが、

「興味本位ならなお見てってくだせ~な!きっと気に入りまさ~な!へへへ!行っときますけど、旦那を見込んで言っとるんです。ここいらの連中はみんなクズですよ!酒飲みと博打打ちとチンカスの溜まり場でさあ。知性なんてあったもんじゃない。それに引き換え旦那は見るからに賢そうだし、顔も凛としていて、曲がったことは大嫌いって顔をしてなさる。そういう人にこそうちのペットをお迎えして頂きたいんです。いや、無理に押し付けようとしているんじゃないですよ!ちょっと見ってって欲しいんですよ。ね?その棚の裏におりますから、是非見てってくだせ~!さあさあ、その奥です!」

気づいたら私は店主に手を腰に回されて、促されるがままに奥へと押しやられていた。生暖かい感触が腰にじんわりと伝わり、それを避けたいから自然と前へと進んで行ってしまう。

「本当に大丈夫ですから」

  

と言っている間に目の前には、いくつもの箱がずらっと奥まで並ぶ空間が続いていた。40~90cm四方の箱が両サイド四段づつ積まれていて、思っていた店の面積からするとかなり奥行きがあり過ぎるようだった。その箱一つ一つには鳥や鼠などの小さな生き物や、子犬や猫やサル、熱帯魚に亀、イモリ、それらの天敵である蛇やトカゲなども入っており、狭い空間に幾種類もの生き物がひしめき合っていた。

「すごいでしょう。全部で100種類はいますかねえ。」

「うちはペット禁止なんです。本当結構なので、帰らせてください。」

「それは残念だ。じゃあ見ていくだけで結構ですんで、さあ、そのずっと奥におりまさあ~」

本当に見るだけで帰してくれるのか疑わしいが、この狭い空間で踵を返して引き返すのは難しそうだった。ひょっとしてこの戦法で何人もが高額なペットを買わされているのではなかろうか?そんな疑念が浮かびながらも店主に腰を押されるがままに前に進んで行く。その傍らでは犬や猫やサルたちが円らな瞳でこちらを見ていて「早くここから出してくれ!この古狸から僕たちを救ってくれ!」と言っているようだった。

やめてくれ、君たちを連れて帰る家はないんだよ!そんな目で見つめないでくれ!

「さあさあお客様、お初にお目にかかります!こちらが当店の一押し!!どうですか?可愛いでしょう?あ~もう旦那の事しか見ていないや!ガハハハハハ!!!」

  

その子を見たとたんに私の脳髄は蕩けるように幸福感のエンドルフィンを垂れ流し、私はボーっと見とれては、自然と顔が多幸感でニヤけていた。その子は私のことを見るなり、左手を掲げて『ニャンニャン♪』とした。私が呆気に取られていると「?」と小首を傾げた。私も同じように『ニャンニャン♪』と返した。その傍らで店主は後ろ手を組んで立ち、満足げな様子でこちらを眺めていた。

「こちら……この子は、人ですか?猫ですか?」

店主を見ずに目の前のラブリーヒューマンだかラブリーキャットか分からないその可愛さで100%出来ていそうな生き物を見つめながら、その生き物について質問をした。

「面白いでしょう!言っておきますが、人間では断じてございません!ここも治安は悪いが人身売買なんざやってません。うん、多分ね…。ここが開発される前には、そういうこともあったのかもしれやせんが、うちは当世風に言うとペットショップなんでね。まあ爺さんの代からやってますから、色んな生き物がいますがなあ。長いことやってると色々と珍しいもんにも巡り会いまさあな。う~ん、正直私にも分かりかねますが、仕草や気紛れなところはえらく猫っぽいし、尻尾や耳なんかはいかにも犬だ。そんでもって体や顔はヒューマンそのもので、瞳はエメラルドグリーンで髪はパツ金!欧米風ときてる!どこのルートかは分かりませんがウチんところに流れ着いたって訳ですよ。いや、さすがに旦那といえども出所は言えませんし、そもそも私も知りませんのでね。どうですか?私は目を見れば何でも分かるんだ!旦那!あなたは今この子を家に連れて帰ろうと思っている!いや、もうそうと決めていらっしゃる!そうでしょう!ねえ旦那!?」

オヤジの言う通り私はすっかりこの子を連れて帰る気でいた。家に連れて帰らないまでもどこかホテルにでもかくまって自分だけのものにしたかった。しかし、他人から真っ向から心を見透かされると人間腹が立つものだ。手前なんかに俺の気持なんか分かってたまるかという気になってくる。それもこんな初対面の脂ぎった小悪党なおやじに見抜かれてはどうしても反発してしまいたくなる。こいつと肩を抱き合って「良くぞ見抜いて下さいました!あなたは何でも分かって下さるんだ!もう今日から私たちは親友ですよ!」なんて死んでも出来るものか!

とはいったものの、私の可愛いそのエメラルドグリーンの瞳の持ち主は、潤んだ眼で私にこう言っているようだった。「ご主人様!気を確かに!こんな禿げ頭の挑発にのってはいけない!今は一刻も早くここを抜け出すのです!こんな古狸を騙すなんてご主人様の明晰な頭でなら朝飯前ですよ!さあ!早くここから連れ出して下さい!」

合点承知の助!今すぐ君をこの鳥獣販売店だか動物園だかよく分からない場所から助け出してみせるよ!

その4『スタンディングオベーションの最初の人』

「よくぞ気付いて下さいました!あなたは何でも分かっちゃうんだなぁ!で、単刀直入にお聞きしますが...この子はその...おいくらですか?」

そうと決まるとがらりと態度を変えて、逆に私の方がヘイコラと店主の様子を恐る恐る伺う体たらくになってしまった。そんな私の質問に店主はグイっと顔を近づけてきてニヤッと笑ってからこう言った。

「私がいつ売ると言いましたか?お金なんかいりません!どうぞお迎えしてくだせぇ~な旦那!」

「えっ!じゃあタダで譲って下さるってことですか?いや、これは一体どういう風の吹き回しで?何か事情があるのではないですか?」

私の声が大きかったのか店主の後ろのサルがキーキー喚きだしたので、店主はポケットからバナナを1本取り出してサルに与えはじめた。サルはすぐに泣き止んで餌のバナナを夢中で齧り続けていた。

「事情も事情、大事情ですよ!旦那にだけはお話しますがね、この子は先日・・・そう先日の大雨の日です!うちの店の玄関前に言葉通り捨てられたいたんですよ!うん、本当に捨てられていたんだ!段ボールに入れられていて、一応バスタオルで包まれてはいたが、私はてっきり捨て子だと思いましたよ。だってね、旦那、見るからに幼い子供じゃないですか!人間の子供が捨てられているだなんて、そんな物騒な世界に生きているだなんて思ってもみないですよ。もちろんニュースではコインロッカーに赤子を捨てる親なんかが報じられていますがな...テレビの前の人間はそんなの本気にはしませんさね。旦那だってそうでしょう?誰もこんな物騒で暗い世の中に住んでいるなんて思いたくありませんからね!どうせ自分には関係ないと思っているし、どこか外国か異世界の出来事かなんかだと無関心なんだ。近くで火事があったってうちにまでは及ばないと決め込んでる。そのくせ野次馬には顔を出すんだから、世の中の不幸を見世物か何かだと思ってるんでさ。私もそうだし、旦那だってきっとそうでしょう?」

「いや、うんそうかもしれませんけど...一体何の話ですか?あなたは全然全く関係のない話をしているよ!この子が捨てられてて、それでどうしたんです?」

また後ろのサルが泣き始めた。店主は満面の笑みで「よーしよしよし」とまたバナナを1本あげてサルを落ち着かせた。見たところ本当に動物が好きなようだった。

「そうなんです。この子が段ボールの中でバスタオルに包まれてましてね。周りに誰もいないのを見てとるとすぐさまこの子を店の中に連れて行きましたよ。店内の明かりの下でこのバスタオルをとると、あれまあ可愛らしい女の子じゃないですか!私はまるで竹取の翁にでもなった気分でしたよ。ブロンドの髪は神々しく輝いて、エメラルドグリーンの瞳は透き通るようで私の事を見つめているではありませんか!しかし、やはり妙なのがこの子についている長く垂れた耳とフワフワの尻尾ですな。これは作り物じゃあございません。正真正銘この子から生えとるもんでさ!ところで旦那はこの子をどうお思いですか?」

「どうというと?」

「人間だと思いますか?それとも何か実験で生まれた別種の生き物だと・・・」

それは極めて確信をついた質問だった。そう改まって聞かれると私には何も明確な答えを出せる自信がなかった。というより、たとえ答えがあるにしろ、仮にこの子を人間だと断じたらこの子を貰ってもいいものなのか分からなかった。この子が人間だとして、例えば某有名日常系漫画の『よ〇ばと』のように勝手に連れて帰って一緒に住まわしていいものなのか。自分の事を『とうちゃん』とか呼ばせてみたとして、それは明らかに”略取誘拐罪”とか”拉致監禁”とかレッテルを張られる類のものであって、現実的にはありえない、漫画の世界だけの話だった。

ではこの子を人間ではない別種の動物だとしたら?それでもひな型に人間という種族が混じっていることは見た目からも明確な事実のように思えた。子宮の段階で抽出されて、何か細胞をいじられて、犬かなにの遺伝子を組み込まれて・・・といったSFちっくな、しかし現代の科学でなら十分ありえそうな類の生き物が目の前にいるのだ。この子が人間であれ動物人間であれ、何であれ、店主の質問はわたしに”お迎え”の選択肢を与えないものだった。倫理的に完全に私はこの子をお迎え出来ないことが事実だった。

「ちょっと意地悪な質問をしてしまいましたかな?」

私が返答に困っていると店主は後ろのサルを籠から出して手に乗せて愛撫し始めた。

「旦那はやさしいお方だから、この子を連れて帰ることに後ろめたさを感じているのでしょう?だって、ひょっとしたら、人間かもしれませんからね!いやでもね旦那、そんなことはないのですよ!この子は列記とした正真正銘の動物です。このサルと同じサルの仲間です!私が保証しますでさ!」

とはいうものの、店主が動物だと言っても、それが一体なんだというのか私には疑問だった。生物学的に人間でないとして、それで本当に飼って良いのだろうか。それに店主の『保証』というのも口だけのいい加減なものに思えた。

「いや、でもですよ?もう言ってしまえばこの子はもう、ほぼ人間じゃないですか!耳が生えていようが尻尾があろうが、やっぱり猿なんかではなし、人間そっくりなんだ!ほぼ人間はもはや人間なんだ!そうでしょう?これもうアウトですよね!?」

すると店主は『やれやれ』といった具合に肩を落とし、優しくサルを撫でてから籠に戻した。

「動物だの人間だの、それが何だっていうんですかねえ。言ってしまえば人間だって動物でしょう?では人間と動物を隔てるものは何か、、、人は言うでしょう、それは知性だと!イルカは賢いから保護すべきだと動物保護団体は言いますがね、私にとってはちゃんちゃら可笑しい話ですよ。じゃあ、頭の悪い生き物はないがしろにして良いでしょうか?違います!それこそ差別だ!人間の傲慢ですよ!」

やさしい態度から一変して荒々しく論じ始めた。店主の動物愛がそうさせるのか、単なるセールストークの一環なのか、判断がつきかねた。私はだまって店主の興奮がおさまるまで、言うだけ言わせておこうと思った。

「人間だから手懐けてはいけないとか、知性があるからとか、そういうことじゃないんです!結局のところ個対個の関係性なんです、種族何か関係ない!ペットというのはもう太古の昔からおりましたよ。その目的というのも別に乳欲しさじゃない、つまるところ愛着ですよ!可愛いから飼うのです!猫の乳を飲みますか?一日中ゴロゴロして何の役にたつっていうんですか!まあ昔はネズミ捕りくらいの役には立ってたでしょうがね。じゃあ、一体どうして猫を飼うのか、それはもう愛ですよ!可愛いからですよ!旦那もまさかこの子を食べようとは思わないでしょう?」

「とととんでもない!こんな可愛い子を煮て焼いて食おうだなんて!」

「へへへ、何も火を通せとは言ってませんさね!けけけけ!」

店主は不気味に笑って話を続けた。

「可愛いから飼うのですよ旦那!そこへ来て動物だの人間だのナンセンスですぜ!旦那はまじめだから世間の倫理とかが邪魔しているんでさ。仮にこの子が人間だったからどうなんです!可愛がっていたサルが後から人間だと判明した。それで手放せるもんですか?違うでしょう?」

なんだか店主の話を聞いていたら頭がボーっとしてきて正常な判断が出来なくなってきていた。脳が糖分を欲した私はオリの中のサルが食べているバナナを眺めて、「私にも一本恵んで下さいな」と言ってみたくなった。

すると、バナナにかじりつくサルに見惚れているそんな私を見て店主が身を乗り出して

「そうそうこの子(サル)はインドネシアで見つかった新種のサルでしてね。うちには絶滅危惧種のサルも何匹かおりますが、この子はどうやら全くの新種らしいでさ。まあ、何で私が持ってるかっていうと連れて帰ったんでさ。インドネシアに行ったときにスーツケースに入れてね。それはもう可愛かったからね!一目惚れでさ!それ以外に理由がありますか?何かを手に入れることに!私はこの店をもちろん生きるためにやってますよ。でもね旦那。本当に好きなものには1円たりとも値段は付けないたちなんでさ。この子は売り物なんかじゃあないってね!だからですね、、、」

といってクルっと向きを変え、その未知なる生物、サルではないが、では一体何なのか分からない可愛い生き物を指さして、

「この子に相応しいと思った人が見つかれば、私は喜んでその人に譲ってあげるつもりです!お金なんか取らない。ふさわしいご主人のもとへ帰してやる気持ちですな。」

「そこへきて私がこの子に相応しい主人だと?」

「ええ!そうです!ぜひお迎えしてくだせぇな!」

と言って店主が私に抱きつかんばかりに迫ってきたのを、咄嗟に手で制止した。

「いや、待ってください!そう言って下さるのはありがたいですけど、貰われたほうはどうするんです!人間なのか何なのかも分からない生き物を譲り受けて、警察に捕まったらどうするんですか!」

「そのことでしたらご安心を!安心キットをお付けしますから!」

「何ですかその『安心キット』って!?」

  

いつの間にか店主の表情には怪しい影が浮かんでいた。同じ微笑でも内に秘めた思惑一つでなんと印象が変わることだろう!やっぱりこいつは古狸だったのか!

「この子が人間だろうと動物だろうと関係ございません!お渡しする『安心キット』に戸籍登録に必要な書類とその方法が書いてありますから、それで晴れて合法的に一緒に暮らせるってわけでさ。」

「どこで生まれたかも分からないのに出来るわけないでしょう!あなたはあれだ!この厄介な生き物を僕に押し付けようとしているんだ!捕まるのが怖いから!そうでしょう!」

「それは違いますよ旦那!さっきも言ったでしょう。この子に相応しいご主人にお迎えしていただきたいって!だからこの子の対価は1円たりともいただきません!ただその・・・この『安心キット』は100万でございますんで、それだけお支払い頂きたく存じますです、はい。」

「クソッ!!!ガッ!!!」

私は腹立ち紛れに足元の籠を蹴飛ばした。すると周りの鳥獣が泣き出して暴れはじめた。

「あまり動物を刺激しないで下さい旦那!この子も怖がってるじゃないですか!」

「これが落ち着いていられるかってんだよ!善人面して近寄ってやっぱり高額な金額を押し付けようとしているんじゃないか!なんだってそんな高いんだ!その『安心キット』ってやつは!いくらなんでも人を馬鹿にし過ぎているよあなたは!」

また癇癪紛れに足元の籠を蹴飛ばそうと思ったが、そこでかのプリティーアニマルと目が合ってハッとした。そして私に向かってあたかもこう言っているようだった。「じゃあワタシはいったいいくらだと思って?旦那さま?」

この子を手に入れることに100万円が一体なんだろう?そもそもこの子に対価を求めること自体がナンセンスなのだ...いやいやいや!この子に1円たりとも付いていないからと言って、結局安心キットで100万円付いてるじゃないか!こんなの携帯電話の高額な料金設定と何ら変わらないじゃないか。0円とかいって結局オプションやら何やらで1万円くらいとるんじゃないかよ。通信なんか機械が勝手にやってるだけじゃないか。貧乏人から毎月1万円もせしめやがってクソが!

するとまた私のクァイィ(可愛い)お嬢さんが円らな瞳で私にこう語りかけてくるのだった。「たしかに100万は高額です。でもこれから訪れる私と旦那様との愛しい同棲生活を思えば、100万が一体なんだというんです?そんなもの、ただの可愛いものに対する税金だと思って諦めてしまいなさい!その100万円はこの古だぬきに払うのではない!旦那様の私に向けられた愛に対する税金なのです!さあ!悩んでいる暇はありません!早く私をこの古だぬきから救い出して下さいませ!」

カチン!☆彡

完全にこの子をお迎えする算段にスイッチが入ってしまった。そうと決まれば話は早い。交渉成立だ!こういうのは気が変わる前に手続きを済ませてしまうに限る。何食わぬ顔でお迎えする方向に話を持っていかなければいけない。一度深呼吸をしてから話に戻った。

「まあなんだ。100万円というのもこの子をお迎えするための安心を買う様なものですよね。うん、まったく私も大人げなかった。すみません。」

するとどうだろう。店主はニヤリと微笑を浮かべるとゆっくりと、そして相手に敬意を表すかのようにパチパチパチと拍手をフェイドインさせた。それは大演説の後の静寂の中はじまるスタンディングオベーションのそれであった。

「旦那様。合格です。」

「はい?」

「旦那のこの子に対する愛を試させていただきました。安心キット100万円というのは嘘でございます。旦那からはびた一文いただきませんさね。さあ、大旦那様!お迎えくださいませ!」

何が起こったのか分からずキョトンとしていると、店主は後ろポケットから鍵の束を取り出し、錠を外した。そして、籠から出てきた『その子』はこうなる結末を最初から分かっていたかのように、真っ直ぐな視線で私を見つめて「お待たせいたしました、旦那様。一緒に帰りましょう。」と言ってほほ笑んだのだった。

今になって思えばとんだ茶番に付き合わされたものだ。なんだってこんな回りくどい小芝居を打たないといけなかったのか。それはおそらく客のいない暇な店の暇な店主の軽い悪ふざけだったのかもしれない。きっと一度でいいからやってみたかったのだろう。「合格です」ってやつを!

  

おわり

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